何故人を殺してはいけないのか

「なぜ人を殺してはいけないんですか?」
「殺してOKにしたらお前も死ぬからな」
ここで「俺が殺されるわけねーじゃん」と考えるのがDQN

 ふとTwitterのタイムラインを徘徊していたらそのような旨のツイートがまわってきた。まあ、言わんとしている事はわからないでもない。しかし、これに違和感を覚えない人もどうかと私は思う。

 

 

「何故人を殺してはいけないのか」

 そう尋ねられた時、どのくらいの人が理屈でもって、順序だててこの問いに答えられるだろうか?

 まず最初に出てくるのは「法律で決まっているから」だろう。多くの人がこう言うと思われる。......しかし、社会学を学んだ事がある人ならわかるだろうが、この答えに100点は到底つけられない。少し前の戦争をしていた頃の日本では、敵兵を殺すことは法律で禁止されていなかった。また、海外に目を向けるとイスラム法では復讐のための殺人が許される場合についても定められている(今では大部分で近代法が制定されて違法になるが)。法律というものは時代や場所によって大きく異なるものである。「法律で決まってるから」だけであれば納得いかない人もいるだろう。

 

 では、先程のツイートのように「殺してOKならお前も死ぬからな」つまり「人を殺してよいなら自分も殺される可能性があるから」などという理由はどうだろうか? これもまた十分ではない。だったら殺されないように武装したり、徒党を組めば良いのか、となってしまう。

 

 該当ツイートリプ欄を見てみると、どうやらサカキバラ事件の時に大江健三郎が「そういう質問自体が良くない」などと答えていたらしい。この話の真偽はわからないが、これも良くない。というか0点だ。質問の回答になっていない。もし、「そういう質問自体が良くない」のならそれこそ理屈を持って何故その質問自体が良くないのか説明し、その上で「何故人を殺してはいけないのか」をきちんと教えるべきではなかろうか。「そういう質問自体が良くない」という回答が許されるのであれば、ありとあらゆる質問全てにそう返せるだろう。「殺人は悪いものだから、やってはいけない」という考えが元にあるのだろうが、「殺人は悪いものだから、やってはいけない」という論は「循環論法(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%AA%E7%92%B0%E8%AB%96%E6%B3%95)」と呼ばれる詭弁でしかない。
 他の0点の回答に「それくらい常識だろ」や「ダメだからダメ」がある。これはもう説明しないでも暴論であるとわかる。......なお、これらもリプ欄にあった回答だと補足して置こう。

 


 では、そろそろ「何故人を殺してはいけないのか」という問いに対する説明をしていこう。日本の法律において人を殺すことは刑法199条にて「殺人罪」とされ、罰則規定がある(緊急避難などの例外は除くものとする)。つまり、何故人を殺してはいけないのかというと、「人を殺すと自分自身に罰則規定が適用され、更に今の社会の道徳観念から見ても非難され、社会的制裁を受ける(=自身に不利益が生じる、損をする)から」というのが正しいだろう。逆に言えば「バレなければ人を殺してもよい」と言えるし、「自身の不利益をわかったうえで行われる人殺しはとめる事が出来ない」とも言えるのだ。
 例えばナイフを自身の足に向けて振り下ろすと怪我(損)をする。だから、人は普通はナイフを自身の足に向けて振り下ろしたりはしない。しかし、怪我をしても構わないのならナイフを自身の足に向けて振り下ろすのはダメな訳ではない。その人の自由意志に委ねられる。結局この質問の本質は、このナイフの理屈と同じ事なのである。

 

 該当ツイートのリプ欄をみると、まともな論理的思考を持つ人達による、これと同じような内容のツイートも見れた。しかし、その倍以上の人が「常識だから」「ダメなものはダメ」などというおかしい理論を用いて、さもそれが「理屈にかなっている」のであるかのように振舞っていたのだ。更に「そんなくだらん質問をやる奴は多分両親とかいない奴なんじゃね」などという論拠不明のレッテル貼りまでする始末。当たり前だが、レッテル貼り、個人攻撃というものは論理学的にみると明らかな「詭弁」である。私から言わせてもらうのであるならば、「その程度」の「理屈になっていない理屈もどきの暴論」で語っている方々とこのツイートで非難の対象になっているDQNは何ら本質は変わらないものだと思うのだがどうであろうか。

 

 


 話はズレるが、「死刑制度の有無」に関しての論争も面白いものがある。容認派も否定派も様々な意見があり(抑止力的観点や冤罪の有無など)同じ「容認派、否定派」でもその理由は正反対のものである場合などもある。気になった方は調べてみたらどうだろうか。個人的に否定派ならば呉智英の「死刑制度は自然権である復讐権を奪っている。だから死刑制度を廃止し、仇討ち制度を復活させるべきである」という論はその如何はともかく、最初に知った時には中々面白いものだと感じたものだ(詳しく知りたい方は氏の著書である「猿の正義」をおすすめする)。